HP管理者の家族の交通事故体験記です。
ただ今、作成中でまだ途中までです。
続きは、次回の更新までお待ちください。


HOME交通事故体験記


交通事故体験記(続編)


 2003年4月25日 損保弁護士から1ヶ月近く返事なし。手紙を出す。


 3月28日に、加害者の加入していた自動車保険「富士火災海上保険会社」の弁護士が、「テープの内容について本人に確認する」と言ってから、1ヶ月近く何の連絡もなし。そして事故から3ヵ月半、治療費さえも損害賠償の支払いが一切なし。貯金や親からの手助けがなければ、交通事故で怪我をして働けない夫、幼い子供を二人抱えて、私達はどうやって生活していただろうか?
 あまりの対応の遅さに、怒りの気持ちを抑えられない。こんな自動車保険があることが信じられない。金融監督庁は一体何をしているのか?

 この日、「富士火災海上保険会社」の弁護士に、本人に確認したかどうかの質問の手紙を送付する。



 2003年5月3日 弁護士から返事の手紙が届く


 やっと本人に確認したとの手紙が届く。
その弁護士から届いた手紙の一部を公開します。
こちら

 手紙の内容によると、契約者である加害者が、「自分が赤で相手が青」と言っているにもかかわらず、刑事記録が開示されるまでは、過失割合は50:50なのだそうです。

 刑事記録が開示されるまでには、何ヶ月もかかるらしい。日本の法律に疑問を感じずにはいられない。


 2003年5月21日 弁護士から債務額確定調停を申し立てた旨の手紙が届く


 弁護士から債務額確定の調停を申し立てた旨の手紙が届いた。まだ治療も終わっていないのに!!常識では考えられませんよね!電話では、「早期に過失割合を決める必要がある為」、と説明していたが、その真偽は約半年後にはっきりと分かることになる。

 そして、同封されてあった調停申立書の写しには、このようなことが書かれてあった。

こちら


 2003年6月3日 紛争処理センターへ申し込む


 私達は、調停では時間がかかるし、話も付かないと思っていました。なぜなら、電話で私達が過失割合について妥協案を出しても、保険会社の弁護士は、少しも妥協するという姿勢を見せなかったからです。ただの時間稼ぎとしか思えなかったし、このような保険会社の弁護士が、調停に多く出ていることは予想され、調停員とは顔見知りのような感じにもなっているのではないかとも思われました。
紛争処理センターに電話をすると、約5ヵ月後の日にちを予約されましたが、「急ぎですか?」と聞かれ、理由を話すと、「一ヶ月以内に連絡できるかもしれません。」とのことだった。


 2003年6月16日 紛争処理センターへ行く


 電話をしてから、約10日ほどで電話があり、この日、紛争処理センターへ夫と二人で行く。

 担当の弁護士先生は、とても頼りになりそうないい感じの人だった。これからの相談は、この先生が担当してくれるとのこと。


 2003年6月18日 検察庁に電話をする


 保険会社側の弁護士は、「刑事記録が開示されるまでは・・・」ということを言っているので、検察庁に電話をして、保険会社がこのような理由で私達に損害賠償を支払ってくれずに困っているので、刑事記録を見せてほしいと、電話してみることにしました。担当検察官は「裁判をして事件が確定してからでないと見せられません。」と言われました。
私は「夫はいつ呼ばれますか?」と聞いたら、「順番にやっています。」と、警察で、実況見分のお願いをした時の警察官と同じように答えられました。私は、「保険会社の方では、刑事記録が開示されてからでないと過失割合が決められず、支払いができないと言っていますので、なるべく早めにお願いします。」とお願いしておきました。

 そして、それからまもなくして検察庁から呼び出し状が届いた。電話のおかげなのかどうか分かりませんが、期日は7月の上旬。私達は事情があって、7月1日に夫の国へ行かなくてはならなくなった為、検察庁に電話をして事情を話すと、6月30日に変更してくれた。


 2003年6月30日 検察庁へ行く


 この日、時間は午後4時の約束でしたが、4、50分程待たされ、夫は一人で検察官のいる部屋へ通されました。今度は警察の調書を取る時とは違い、通訳が付いていたので安心です。通訳してもらいながらだったので、時間は普通の人の倍近くはかかったのではないかと思います。警察で聞かれたのと同じようなことを聞かれたようでした。私も呼ばれて、少しお話をしましたが、担当検察官はとてもいい感じの方でした。

 ここで、検察官に聞いたことで、目撃者の調書が取られていたことが、はっきりしました。

 今まで、皆さんには話していませんでしたが、事故当初から、担当警察官に「バイクが赤で渡ったのを見たと言う目撃者がいる。」というのを聞かされていました。夫と私は、これは誘導尋問するための、警察官の嘘だと思っていました。しかし、実際に目撃者の調書が取られていたことにびっくりしました。その目撃者は、バイクは交差点手前で止まらずに、かなりのスピードで赤信号で交差点進入したと供述しているとのこと。私達は、その目撃者をよく取り調べてくれるようにお願いをしました。


 2003年7月1日 日本を発つ


 しばらく、この交通事故の件に関しては私の父に委任することに。リハビリなどの治療は渡航先で続けることになった。


 2003年12月17日 調停


 その後、父親の判断で、富士火災海上の弁護士が申し立てた、「債務額確定の調停」に父親が出席。調停は、約1ヶ月間隔で4、5回行われたようですが、結局のところ、富士火災海上側は、目撃者の調書を理由に、過失割合を「(夫)60:40(早△氏)」と、調停前より夫の過失を多く提示し、調停は打ち切りになりました。

 ここで私が疑問に思ったのは、調停員は何のためにいるのか?ということでした。父親の話によると、調停員は富士火災海上の弁護士を「先生。先生。」と呼んで、言いなりだったそう。

 そして、この時、夫はまだ治療中であったにもかかわらず、富士火災海上は、2003年6月30日までの計算で、「最終お支払額○○」と書かれた「対人損害積算明細書」を渡したそうです。

 この調停後に、富士火災海上の弁護士が、調書を送ってきたそうです。
この
目撃者の調書、そして夫と事故の相手方である早△氏の警察での調書を公開しますので見てください。これを見て皆さんがどう感じるか、率直なご意見をお聞かせいただければと思います。

 私は、この調書を見て、「この目撃者と書かれている人は、本当にこの現場にいたのだろうか?」と、それさえも疑問に思いました。


 2004年1月6日 早△氏に請求書を送付する


 この日、私が書いた請求書を、母が内容証明で早△氏に送付する。ちょうど事故から一年経っていた。

 請求書の内容は、『調停で保険会社は○○円の損害賠償しか支払えないと提示していますので、残りを貴方に請求します。下記の口座にお振込みください。』と、簡単に書くとこのような内容です。実際このような請求書を送っても、相手が支払うとは思いませんでしたが、目的は、「貴方の契約している保険会社は、ちゃんとやっていないよ。」ということを教えたかったからでした。

 最後にこういうことも書きました。『連絡もなく支払いなき場合は、保険会社に任せたままで、誠意の感じられない貴方を、訴える所存です。』


 2004年4月13日 再び紛争処理センターへ


 夫の足も、ほぼ、治療を終えたため、今まで病院でかかったリハビリ代、診察代の領収書とその日本語の訳をつけて、日本にいる母に送付。そして、今までのこの交通事故関係のすべての書類を持って、母がこの日、紛争処理センターへ向かった。

 前回に私達が行ってから、10ヶ月近くたっていた為、前回に担当してくださった弁護士先生は、辞めてしまっていて、違う弁護士先生が担当になった。母の話によると、とても良い感じの人だとのこと。

 この日、足りない書類があったとのことで、書類が揃った時点で、次回の予約を取って下さいと言われたそうです。


 2004年6月11日 紛争処理センター(3回目)


 足りなかった書類を持って、母が紛争処理センターへ。この日は、書類を整理し、請求金額を一緒に計算したそうです。

 そして、次回は、いよいよ相手方の保険会社の弁護士が来るとのこと。予約日は7月29日。夏に一時帰国する私が出席することになった。


 2004年7月29日 紛争処理センター(4回目)


 この日は、子供を母に預けて、私が出席。本当は、夫もいれば良かったのだが、母国でやることがあり、夫は来日できなかったのでしょうがない。

 この日は、富士火災海上の弁護士も来ていたが、始めに私だけが部屋に通されて、話をしました。紛争処理センターの担当弁護士先生とは、この時初めて会ったのだが、母の話とは全く違っていた。この弁護士先生は、始めから私の挨拶にも答えてくれずに、非常に無愛想、面倒くさそうな態度で、「ご主人が赤信号で渡っていると思います。」と言われ、私が夫の青信号を主張すると、「じゃあ、裁判をやってください!」と、言い放たれたので、びっくりしました。「貴方の言っていることは、訳が分からない。」とまで言われ、私の今までの人生で、これほどひどい態度を、初対面の人に取られたことはあっただろうか?と思うほどだった。

 私が何か言うと、その紛争処理センターの担当弁護士先生が、「じゃあ裁判を・・・!」と言うので、「本人がいないのに、どうやって裁判をやるんですか?」と私が聞くと、「そんなの知りません。」と言うので、「じゃあ、裁判、裁判って、無責任なことを言わないで下さい。」と私は言いました。まるで、保険会社側の人間と話しているようでした。

そして、この日は、紛争処理センターに全て書類が揃ってあったはずなのに、労災からの支払いを証明する為の、書類のコピーが行方不明になっていて、それを次回にまた持ってくるように言われました。後は、通院費は、自家用車で通っていたので実際にかかったガソリン代として、大体のものを計算して請求するつもりで出してあったのだが、公的機関の物にしてと言われ、バス代を調べることになった。

この日は、最後の方に富士火災海上の弁護士が部屋に通されましたが、請求金額が出せないので、結局、話し合いにはならずに、次回の予定日を決めて、終わった。


 2004年8月19日 紛争処理センター(5回目)


 この日は、母と一緒に紛争処理センターに行く。私が帰国している間には、示談できそうもなく、その後は、また母にこのことを引き継いでもらう為。

 私達は、前回請求された資料を提出し、紛争処理センターの担当弁護士先生は、また再度、請求金額を計算し直した。そして、この日も、事故時の信号のことで、この担当弁護士先生と私は言い合いになった。担当弁護士先生の口から「裁判」という言葉がまた出たが、紛争処理センターで申し立てることのできる「審査」のことについて、その人が何も言わないことに疑問を感じた。

 この日は、富士火災海上の弁護士2人が私達と同席し、労災からもらった資料を基に計算した、支払いの明細書を提出した。そして、休業損害金額が、紛争処理センターの担当弁護士先生が計算したものと20%の差額があることに気がついた。富士火災海上の弁護士が労災からもらった資料に書いてある休業損害は、1ヶ月のお給料の60%。そして紛争処理センターの担当弁護士先生は、私達が提出した労災から届いた振込み明細のハガキから計算しているのだが、そこには、「特別支給金額」というものが別に書かれていて、それは、1ヶ月のお給料の20%であり、その分が差額となっていた。

 「この特別支給金額って何だろう?」と、紛争処理センターの担当弁護士先生と富士火災海上の弁護士2人も分からない様子。私も初めてのことだったので、どういう風に損害賠償が計算されるのか良く分からなかったが、この日の紛争処理センターの担当弁護士先生の説明では、この交通事故で被った損害(治療費・休業損害・通院費・入院付添看護料・慰謝料等)の合計金額から、過失分を引き、残りの金額からさらに、労災で支払われた治療費・休業損害金額を引き、残金を請求するというものらしい。

 なので、富士火災海上の弁護士は、この「特別支給金額」が計算に入っていなかったので、また次回までに計算し直します、ということでこの日は終わった。しかし、私は、労災が富士火災海上に渡した休業損害に「特別支給金額」が記入されていなかったのだから、それは計算に入れてはいけないものではないのか?と思い、帰ってから調べてみることにした。

 そして、紛争処理センターからの帰り道で、母が担当弁護士の豹変振りに驚いたことを語った。「前に会った時と全然態度が違う!・・・」と。あの弁護士先生に何があったのだろうか?


 2004年8月20日 特別支給金額の意味


 「特別支給金とは何か?」インターネットで検索して調べたところ、労災からの「お見舞金」という意味のことが書いてあった。確認のため、労災にも電話して特別支給金について聞いてみる。すると、やはり「労災からのお見舞金です。」と教えてくれた。「紛争処理センターでは、保険会社の弁護士が、この特別支給金を計算に入れて、損害賠償から引くと話していたのですが。」ということを話すと、「それはひどいな。どこの保険会社?」と労災の人は言っていました。この後すぐに、紛争処理センターの担当弁護士先生宛に手紙を書き、特別支給金について書いてあったページのコピーを添えてFAXで送りました。

 富士火災海上の弁護士が、特別支給金を本当に知らなかったとは思いますが、私が調べずに、紛争処理センターに任せっきりしていれば、このお見舞金も引かれてしまったのだろうと思いました。


 2004年8月23日 目撃者に会いに行く


 ずっーと、目撃者に会いたいと思っていた。調書を見て、この人が嘘をついているのは、明白だったから。もしくは、その人はただ、利用されているだけかもしれない。それをはっきりさせたかった。その人が、嘘をついているのなら、本当のことを聞かせてほしいと思った。

 皆さんの中では、今までの体験記を読んで、目撃者ではなく、夫が嘘をついているのでは?と、思っている人もいるかもしれません。しかし、検察庁での供述調書には、目撃者の嘘を決定付けることが書かれていました。夫は、信号待ちしているときに、「バイクの後ろに後続車が止まっていた」と供述していますが、加害者の調書にも、交差点に入ったところで、「後続車が2、3台停止しているのが見えた」、と書かれています。そして、目撃者の2度目の調書は、何故か、検察庁ではなく1回目と同じ亀有警察署で取られており、「信号待ちしていた他の車両はなかった」と、供述調書に書かれていました。

 他にも、この目撃者の供述には、不審な点がたくさんあります。もう一つは、、事故を目撃したのは、帰宅途中で信号待ちしている時と書かれていましたが、その人の住所から地図で帰宅経路を見ると、あの場所で、信号待ちしていること自体が不自然なのです。なぜなら、環七を渡る方向が赤信号なら、環七沿いの信号は青ということになるので、環七沿いを行くのが普通です。環七を渡ったとしても、帰宅するためには、また環七沿いを行かなければならないのですから。

 その目撃者は、会社員のようだったので、夜7時頃、私は地図を頼りに、自転車でその目撃者宅へ向かった。自転車を20分位こいだ頃、目撃者宅に着いた。

そして、私は家のベルを鳴らした。

< 目撃者に会う(続)に続く 



※この体験記は、HP管理者の家族の交通事故について、実際にあったことを記載しています。
この体験談の感想は
こちらへお願いします。

つづく(次回の更新までお待ちください)